2025/05/15 16:50
前日入り、川北町を15時過ぎに出発、能登自動車道、珠洲道路を辿って18時半過ぎに愛知人珠洲本部に到着。
復旧は確かに遅いが日進月歩のようで、金沢で聞いた道路の亀裂等はあまりなく順調に現地入りすることができた。
半島入り口あたりの能登半島道路にかなりの起伏が残っていて、道路が走りにくいと金沢で言われたのもわかる。
水田には水が張られ、飲食店も商店もいくつか営業中。
正直ホッとした。
公費解体もそろそろ終了だと聞いていたが目にしたところはほぼそんなイメージだった。
私たちがボランティアに入った日に愛知人のボランティアの新規募集も打ち切りになって能登ボランティアによる支援活動は転換期になってきている。
私たちが到着した本部は駐在のお二人がいるだけで、がらんとしていた。
「あなたはそこの隅を使ってください。女性は二階へどうぞ。」
自分が東北のボランティアに行った時よりも緩い感じでホッとする。食事もみんなで一緒に食べた。
料理の得意な女性スタッフのご飯が美味しい。
取り壊しが決まっている民家を借りて宿舎としている。ライフラインは普通に使えるし、お湯も水洗トイレも使える。
ボランティア作業一日目、晴れ。ボランティア団体愛知人に合流して珠洲市応急仮設住宅 宝立町第1団地にて作業。屋外用に日よけ布の貼り方改善。7時間の作業、3人がかりで17件。
先輩ボランティア、野間口さんについて作業。インパクトドライバ、結束バンド、クエスチョンねじなどを使い西陽を三段階に抑えて、風にも飛びにくい仕様にする。
仮設住宅はみなさんお仕事に出ているようで、静か。
初日夜、地元の人が会うまると評判の「炉端焼きあさ井」さんに表敬訪問。3組の団体さんで賑わっている。忙しそうなので邪魔しないように宗玄をいただく。栄は能登の塩サイダー。
ご主人のTシャツを褒めたら、いろいろ話をしてくれた。
店内の食器も什器もメニューも自身で全部ダメになったが、自衛隊の給水を頼りに営業を再開。1/27のことだそうだ。開店に際してはボランティアの力も大きかったそうだ。納入業者に頼み込み営業再開前の備蓄品を回してもらっての仕入れだった。周辺の人々は本当に喜んでくれたとしみじみ。
初めて能登の生の声を聞いた。
ボランティア作業二日目、薄曇。昨日に引き続き暖かい。
作業中に仮設の方から通路の陥没の修復について依頼があったが、手伝いなので勝手に動けないと言うしかない。担当組織が違う可能性も考えたので社協にお願いして欲しいと伝えた。住人の方は何度も言ってるんだが直してもらえないとのこと。こう言うのは辛い。報告したらボランティアリーダーもそのように言っていた。
支援活動三日目。
三日分のメニューを二日でこなせた。だがやることは山積みだ。明け渡しが決まっている本部の資材小屋の解体のお手伝いが午前中のミッション。泥だしチーム(上級ボランティアの仕事)がインパクトドライバーを持って出てしまったので介助専門で私と妻。外されたトタンや角材やコンパネを適宜片付けていく。リーダーだけが汗まみれの現場だが仕方がない。
午後は追加の日除張り一件。
日除はボランティア団体が避難者のためにできる事はないかと始めた。仮設住宅が暮らしやすくなって材料費も安い、さらに協力してくれた企業からの物資提供もあって希望者を募ったのこと。
滞在三日目ともなると未撤収の倒壊物件、傾いたままの電信柱群、川に流された家などを確認できるようになった。
たまたま現場で話を聞けた女性は子供さんもみんな都会に出て一人暮らしの中被災、家屋は全壊で撤去され仮設暮らし。この後どうするのか迷っていると。知り合いはいないが、町に出て新しい生活もありかなあと。こっちにいても仕事もないし。。。。暗くなることもなく話してくれた。
被災地入りして四日目、初日には見えなかった災害の傷跡が目についてくる。電柱はあちこち傾いてる。そこいら中の山が崩れた山肌を晒している。潰れてしまった家が放置されたままだったり、川に落ちてる家、片付けられてない土石流の残骸。
でも、いつも通りに暮らそうとしている人がしっかり息づいている。
崩れてしまった軍艦島を眺めて、それでも美しいと思えたことに能登の財産はなくなっていないんだなとも思える。
本部に集まっているのは、東北の震災以来幾多の災害支援に携わってきたプロ級のボランティアたち。現場を仕切り、気遣い、地図もなく現地を駆け回り、現地の人たちに声をかけ、自分のことを話してくれる。彼らがいるからこそ一般の人たちの善意も支援に生きているんなだろう。